香りを紡ぐお線香とお香 銀座 香十

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香十の歴史

伝統から現代へ。440年の香十ならではの創造。
「香り」、それは目には見えませんが、確かにここに在り、
心へ働きかけ、人のいる時空を変える力を持っています。
古来、人は「香り」の力を信じ、焚きくゆらすことに
祈りと願いを託してきました。
やがて「香り」は生活文化となり、人と人とを結び、
自己表現とも精神の遊びともなりました。

香十の歴史

「香十」は、正親町( おおぎまち) 天皇の御代、天正年間に京都で生まれた名跡です。

香十初代は、清和源氏安田義定(鎌倉幕府成立時の遠江国守謹(とおとうみのくにしゆご))の十二代の末商で安田又右衛門源光弘といい、その頃より御所御用を務めていたとされます。香十第二代政清は太閤豊臣秀吉公に、第四代政長は徳川家康公に召されたと伝えられます。

江戸時代には、第八代十右衛門が多くの銘香を創り、名人と言われ、以後代々の香十主人は、十右衛門名を継承することになります。そして光格天皇献上香「千歳」はじめ、表千家へ「九重」、茶道薮内に「若草」の銘香を家元へ納めたと記録され、香十練香の名声が高まりました。
十右衛門自身が書き遺した『香十 十右衛門家傅薫物調合覚書』の文献が現存し口伝のような息吹が伝わります。

幕末期、京都の山本亡羊の学塾に長年関わり、西欧の香りの研究と共に本草学の領域に事績を遺した高井十右衛門芳正も、香十主人のひとりです。
明治・大正・昭和の京都の香十の姿は、室町下長者町に「佐々木志津摩の墨痕白張り暖簾にて『御香具所』を揚げ守る」と『茶道辞典』(昭和31年版)に記載されています。

その後「香十」は、現代に生きる香専門企業として、東京で『銀座香十』の名で、香に携わり香文化活動を続けてきました。そして半世紀を経て、平成28年4月、生まれた地の京都へ里帰りし、二寧坂に小さな暖簾一店を出しました。歴史ある京都の雅な文化と東京銀座の新たな創造が結ばれ、こころ豊かなくらしへの現代のお香をお届けします。

■「香十」と「香十徳」
「香十徳」とは、香の有用性や優れた特性を、漢字四字十項で書き表したものです。

この「香十徳」を有名にしたのは、室町時代の禅宗の高僧一休宗純の書によります。後小松天皇の御落胤と言われる高名な僧であり学者であり香の愛好家である一休禅師が書き広めたものとして、当時の知識人の多くが知るものでした。後小松天皇も香の愛好家として知られ、自ら書き遺されたのが『後小松院宸翰薫物方』という薫物調合・研究書です。その写しの古文献が天正年間に香十初代の手にあった古資料と共に、香十に現存します。

織田信長が天下人となった年に始まる天正年間、この有名な「香十徳」の香の十の徳を広める名として、香十初代の安田又右衛門源光弘が「香十」を名乗ったものと、遺されたものから語ることができます。

■現代の香十
仏教伝来と共に日本にもたらされた天与の貴重な香木から、数々の和の香の文化を生み一千四百余年。香十はその歴史の流れの中に生まれ、継承と時代の新しい創造を行い、伝統の香十練香「黒方」をはじめ、名人十右衛門名を商品名とするお香や和香木まで、現代に求められる価値ある香製品の数々をお届けします。